情報の集め方、今昔、そしてネット社会で頭を使わなくなる理由

昔の情報の集め方は
身近なところでは、新聞やテレビ・ラジオなどのメディアからでした

もっと掘り下げて調べたいときは書籍を求め本屋、図書館でしょうか
あとは手紙のやりとりや、実際に出向いて足で情報収集すること

今はどうでしょう
まずはインターネット検索、そしてネットニュース

本屋は減りましたが書籍はネットで手軽に手に入ります
紙で無くても中身だけダウンロードも可能です

テレビや新聞はどの年代が利用しているのでしょう
昔はどの世代もでしたが、今は偏っているでしょうね

ただ昔と同様、現地に出向き、対面で得られる情報ほど真実です
ネットには上がってこない情報、ネットでは伝えられない情報もありますから

便利になりすぎて自分で考えることをしなくなっていませんか

何でも手軽にスマホで調べることが出来るようになった今
本当に便利になったモノだと思います

便利になるとそれに甘えて、手を抜いてしまうのが人間の性

調べると載っている
載っているからそれ以上調べない
おおよそ調べておしまい!になるのではないでしょうか?

ある時ふと気がつきました

調べることはできるけれど、その情報は本当に正しいのだろうか?
誰がどのような意図を持って発信している情報なのかしら?

そうやって検証することを便利になりすぎて忘れてしまっていると思うのです

便利になりすぎて情報を与えられるままでいては
自分の頭を使って少し突っ込んで考えなくなっていくと気づきました

ネットの情報もなんでもかんでも「いいね」する方がいますがこれも危険です
広告でも他人の記事でもなんでもかんでもです

頭の固いことを言うようですが・・・
その情報の出所を知っていて、本当にいいと検証してから人に勧めているのでしょうか?
ネット上の情報は誰がどんな意図で上げているのかそこまで考えたことがあるのでしょうか?

発信力のある人はなんでもかんでも「いいね」をしていないように思います

 

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何でもいいね!が危険なわけ

私も以前ある人(信用している人)がお勧めしていた本(その方のお知り合いの方が書いた本)を購入し、読んでがっかりしたことがあります

もう少し内容のある本だと期待して購入したのですが・・・
あまりに残念な気持ちになり即amazonマーケットプレイス行きでした
(発刊したばかりなのですぐ売れましたが)

本当に読んでからお勧めされたのかしら・・・
お付き合いでお勧めされたのかしら・・・
もしそうならご自身の濃いお付き合いを大切にされ、薄いお付き合いは大切にされなかったことになる

なんでもかんでもいいね!したりお勧めしたりできないものだと思いました

だから逆に誰かがいいね!をしていても、そのまま受け入れない、一端自分で考えることが必要です

もちろん私も、情報共有をお願いされることがあります
その際、どのような人に役に立つのかを根掘り葉掘り確認させていただいています

誰でも情報発信できる時代に必要な視点

ネットにあふれる情報量も膨大に増え続けています
だれかがいちいち全てを精査しているわけではありません
ネットに載っている情報が全て正しいと思わない方がいいのです

たとえば何かについて情報を調べたとします

上がってきたのはどこかの企業のページでしょうか?
個人の情報ブログでしょうか?
公的機関のページでしょうか?

それぞれの情報が載っていたサイトの意図まで考えて読んだでしょうか?
その中の情報を比較して精査してみたでしょうか?

このあたりは情報リテラシー・メディアリテラシーという概念の無い我々世代は得に頭に置いておいた方がいいと思うのです

そして一方でネットに載っている情報が全てだと思いません
もしかしたら上げたくても上げられない情報だってあるかもしれません
また情報の真偽ではなく、SEO対策をしているサイトしか上位にこないのかもしれません

今や便利になって情報は何でも手に入る、自分は何でも知っていると錯覚しがちですが…
実は昔よりも、とっても狭い世界にいるのかもしれません

勉強会などの中でもまた説明させて頂きますね

情報はたまにはリアルに取りに行きましょう!

 

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